1986年までの山下達郎

2回目。もう一度推敲。
山下達郎を料理に例えるとすると、本人も「アルチザン(フランス語で「職人」という意味)」というタイトルのアルバムを出しているくらいなので、凝りに凝った職人芸的な料理になるのだろうか。かといって懐石料理やフランス料理のフルコース、というほど気取ってもないしスノッブでもない。「市井の黙々と真面目に働いている人間が一番偉い。 それが僕の信念。」という言葉を残しているあたり、イタリアの片田舎の人気レストランか、もしくは意外とラーメン屋の頑固親父なのかもしれない。

そんな我らが山下達郎の、最も脂がのっていた時期はいつだろうか?と考えると、1986年くらいまでではないか。

1975年、シュガーベイブ時代の「DOWN TOWN」からはじまり、ソロになってからも「悲しみのJODY」「高気圧ガール」「RIDE ON TIME」「SPARKLE」「LOVELAND,ISLAND」 など名曲を数多く生み出した達郎。達郎の歴史はシティポップの歴史でもあった。

達郎のシティポップ期の最後にあたるのが1986年の「POCKET MUSIC」。アレンジが少しデジタル寄りだが、このアルバムに関しては安っぽいJ-POPではなく、デジタルサウンドがおしゃれなアレンジとしてうまくまとまっている。「土曜日の恋人」「メロディー、君の為に」など佳曲ぞろい。おじさん達が大好きな「シャンプー」も入っている。

娘が生まれた達郎は次のアルバムのタイトルを「僕の中の少年」としている。88年発売の本作は前作に比べ90年代J-POPに近いアレンジに。シティポップ王道サウンドを卒業した達郎は、「さよなら夏の日」や「僕らの夏の夢」に代表されるように、よりスケールの大きな名曲を生み出していく。  

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